すずりもんのキャラクターのもとになっているのは、十代の終わりに管理人が初めて手に入れた硯だ。
当時の自分は「端渓硯」という言葉ぐらいしか知らなかったが、なぜだろう、店頭に並んだこの硯にいたく心を魅かれ、アルバイト代が貯まるまで店長に取り置きしてもらってこの硯を手に入れた。
ようやく自分のものとなったときには、嬉しさのあまり来る日も来る日もこの硯を眺めては撫でていたことを思い出す。二十歳前の青年が夜な夜な硯を愛でているのだから、今思えば随分とけったいな話だ。
2003年、宮城県北部連続地震で拙宅が全壊した。続く余震の中、「危険」という赤紙の貼られた家屋に入るのは足がすくむほど恐ろしかった。数日ぶりに入った部屋には数千冊の蔵書が散乱し、それまでの間に降り続いた雨で部屋じゅうが水浸しになっていた。水に濡れた書籍は外側が青カビで覆われ、何の本だったかのかも判別できないような姿になっていた。
書籍もそうだが、家具や家電もほぼすべて諦めざるを得なかった。が、命があるだけで幸いだった。
とはいえ、日常生活を営んでいかなければならないという現実があったから、半ば諦め気味に使えそうなものを見つくろった。
揺れが来ては外に逃げ、探してはまた外に逃げてを繰り返しながら、使えそうな僅かな荷物を運び出した。結局、急遽借りたアパートに持ち出すことができたものといえば、ノートパソコンとプリンター、それから何本かの筆と十数面の硯くらいだったと記憶している。揺れと倒壊の恐怖の中で冷や汗を流しながら見つけ出して持ち帰った硯の一面がこの硯だった。
東日本大震災で被災した際にも自宅のみならず地域全体が壊滅的な被害を被った。けれども、不思議なことにこの硯と離れ離れになることはなかった。
次第に日常を取り戻すうちに、いつの間にかもとのように傍らに鎮座しているのがこの硯だった。それがどういった縁なのか―それを問うたところで答えなど出ようはずもない。
今では所蔵している硯は百面をゆうに超えた。値段や価値だけで言えば、この硯よりも高価なものもある。しかし、今でもいちばんお気に入りの硯はと問われれば、間違いなくこの硯だと答えるだろう。
最も長く苦楽を共にしてきたからだろうか。初めて手に入れたという思い入れがあるからだろうか。災禍を乗り越えてなおいつも傍らにあるからだろうか。理由は皆目分からない。けれど、硯の妖精「すずりもん」が現れるのは決まってこの硯からだけだ。